【ベトナムジッポー12】マニアックすぎる本物ジッポーの見分け方

さてここで、これはもう有名になったが、ボトムの記号による年代識別表も載せておこう。

yeary_lighter.gif

なぜかジッポー社は、この記号と製造年の関係を長いこと秘密にしてきた。理由は不明だ。

そしてここで、マニアック過ぎて贋物がついてこられない特徴も挙げておこうと思う。

この写真――、

differnceofzs.jpg

上のやつは71年製造のもの。下は67年製造の物だ。ひと目で書体が変わっていることに気付く。69年製造のジッポーから、従来の下の書体から上のタイプに変わったのである。
このふたつのロゴの『 ZIPPO 』の『 Z 』にご注目。文字のいちばんケツ。Z の文字を書いた時、ペンが離れる最後の最後の部分。上のやつはクイッと鉤状に曲がってる。下のはまっすぐだ。

さらに、この書体変更の際、『 BRADFORD, 』の位置も変わった。ふたつを見比べると一発でわかるでしょ。下の67年製は最後の『 , 』の位置が『 Z 』より右『 I 』の上にある。だが71年製のやつは『 Z 』の右側には飛び出していない。これも69年の書体変更から左にズレて配置されるようになったのである。

という事実を踏まえて、ひとつ前の記事で紹介した贋物と本物を重ねて撮影した写真をもう一度見てみよう。

inchiki3.jpg

上のやつ――贋物は | | ZIPPO | | になっている。これは70年製を表すはずなのだが、だとすれば
『 BRADFORD, 』の位置がおかしい。69年からは『 Z 』より右側に飛び出さないように収まっていなければならないはずなのだ。

もうひとついこう。この写真――、

patnumber.jpg

| | | | ZIPPO | | | | の記号は66年製を表している。その下に PAT2517191 という表記があるけれど、これはZIPPOの商標権かあるいは何らかの特許権=パテントを保有することを表している。

で、このパテント、67年の8月1日にその期限が切れている。従って、67年8月2日以降に製造されたジッポーライターからは、この表記は消えているのである。
上にアップした下のジッポーがまさにそれだ。

これには | | | | ZIPPO | | |  の記号があってパテントの表記がない。つまりこれは、67年の8月2日~12月31日までの間に製造されたもの、ってことなのだ。

どうだ。いくらベトナム人の贋物製造技術が執拗を極めていたとしても、ここまではやらないでしょ。

ここまでやる人たちなら、とっくの昔にベトナムからシエスタの習慣はなくなっているはずではないか。

【ベトナムジッポー13】につづく


スカイスキャナー


文/写真    太田耕輔(ライター・文筆家)
パラオの某ダイブショップにマネージャーとして勤務していたが6年目にして発作的に退職、日本に帰らずそのままインドシナ半島放浪の旅へ。フラフラになったところをベトナムにとどめをさされ帰国。
1年半引きこもってパラオでの体験を書き、半年かけて出版社に売り込んで回ったら本当に出してもらえるという奇跡が起きた。それがダイバーはパラオの海をめざす
以降ライター・文筆家として活動。エッセイ、取材記事、ガイドブックやパンフレット、マニュアル、宣伝用の文章からメルマガまで文章ならなんでも書く。
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【ベトナムジッポー13】やはりぶっ壊れる。

僕が買ったジッポーはまぎれもなく本物なのだ!

と、胸を張って言えるくらいの根拠は集めた。どうだ。僕だって百戦錬磨のベトナム人たちにやられっぱなしなだけの甘ちゃんじゃないのだ――と、ルナ・カフェに行ってマスターのシュウと、常連客の皆さんに言ってやるのだと鼻息荒くペダルを踏んだら、後ろで子供がえっらい騒ぐ。もうどうかしちゃったのかというぐらいに。

見ると後ろのタイヤがパンクしてた。その子供、もう

「おい、こっちだ。こっちに修理屋があるんだぜ。オレ知ってる! こっち来いったら! ホレ、早く来いって!」

みたいなことをわめきつつ横っ飛びに飛び跳ねながら手をぐるぐる回すのでついて行くと、すぐそこに修理屋がいた。ほんまかいな。

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このようにベトナム人は、困っている人には全力でヘルプにやってくるという気質を持っている。ここには詳しく書かないつもりだけれども、僕は以前、ロシア製のバイクを衝動的に買い求め、サイゴンを起点にベトナム全土を縦断している。あの「水曜どうでしょう」よりも先に。

しかも毎日毎日くっそ壊れるロシア製バイク――毎日壊れるもんだから、次の街に到着したら、必ず宿のほかに修理屋も探さないといけない状態――で完全単独縦断し、さらに北上して中国国境まで行くと山中崖崩れに遭って前進不能に陥りまたハノイに戻って、今度は復路を南下するも、やはりロシア製で2,000キロ超も走るのは無茶だったらしく、フエでバイクが遂にあの世へ逝き、荒野をとぼとぼ歩いていたら田んぼの脇でタニシ・パーティーをやってた農夫数名の方々に出っくわし、救われてサイゴンに命からがら生還するという一往半復をやった。

その途上、今では立派なビーチリゾートになってしまったニャチャンでのことだ。

夜、人気の皿飯屋でひとり飯を食い、バイクにまたがってさあ宿へ帰ろうとキックペダルを踏んだがエンジンがかからない。うんともすんとも言わない。何度もペダルを蹴り下していると、突然通りすがりのニイちゃんが鼻息も荒く「どけ! おれがやってやる!」とばかりに僕の肩を押しのけてまたがり、キックし始めた。

しかしニイちゃん超鼻息高テンションのわりに結果を出せず、すると今度はまた別の男が「おい、お前のやり方じゃダメだ! どけ!」みたいなことをわめきつつニイちゃんを突き飛ばして僕のバイクにまたがるとキックペダルを蹴り始める。

しかしそいつも狂った目つきで激昂したわりに全然ダメで、数回キックすると三人目が現れ「バイクのエンジンもかけられないとは情けない、おれのやり方を見るがいいぜ 腰抜けどもが!」的なことを、口から泡を飛ばしておらびまくるとそいつを突き飛ばしバイクにまたがって……、

――とみると、バイクの後ろにキック一発エンジン始動のヒーローになりたいやつが順番待ちの列をなしているではないか。4、5人が一列に並び順番を待っている。後ろのやつは――おい、早く交代しろ――! 的な仕草で首を伸ばしたりして。嘘のようだが本当の話だ。

それからこんなこともあった。

ある峠道。付近に人家もない荒野。低い曇り空から雨滴が落ち始めたところで、路上には無論人影ナシ。荷物を濡らしたくないのでバイクを停め、バンジーコードを外してくくってあったバックパックを下ろし、ビニール袋に突っ込む。

んで再度コードでシートにくくりつけようとするのだが、ビニール袋で荷物がつるつる動き回ってなかなかうまくいかない。しばらく苦戦していると手が出てきた。見るとどこから現れたのか若い男が何も言わずに手伝おうとしてくれている。男は僕の手からバンジーコードをひったくり「おい、お前荷物押さえとけ、おれがコードを荷台に引っ掛けるから。ああっ、ずらしちゃダメだ、ちゃんと押さえろっていやそこじゃなくてここを! そう」みたいなことをわめきながら完全に主導権を主張しはじめる。

仕方がないので補佐役に回っておとなしくしていたが、そいつもやっぱりうまく括ることが出来ず、あっくあっく声を出して奮闘しているとまた手が現れた。二人目の男は一人目の男からバンジーをひったくり「荷物も固定できないのかおまえらは、あぁ? それでも男かヘタクソが! おい、荷物押さえとけ!」みたいな怒声をあげながら荷物を括りにかかるのだがやっぱりどういうわけかうまくいかず、遂には癇癪起こして「どけ! お前は邪魔だ!」とばかり僕の手をそこから引きはがしボディアタックで押しのけ――、

ベトナム人タッグで何やら喚きあいおらびあいながら、とうとう所有者そっちのけで荷物を括ることに成功し、「どうだこの野郎!」みたいな感じで胸を張って見せたのであった。

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(ここがその現場。ふたりがどこから現れたか、いまだにわからない)

と、まあベトナム人というのはそういう気質を持っている。というお話をする間に修理が終わったようだ。

ルナに帰ってさっそく連中をぎゃふんと言わせなければならない。

【ベトナムジッポー14】につづく――。

スカイスキャナー


文/写真    太田耕輔(ライター・文筆家)
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【ベトナムジッポー14】恥を雪がんとして失敗。逆に追い討ちかけられる。

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(人民委員会前のホーおじさん像。最近違うポーズになったらしい)

僕の勝手なイメージにすぎないけれども、人民委員会、ホテルレックス、国営デパートのあるあたりがサイゴン(ホーチミンシティ)のへそで、グエン・フエ通りは背骨みたいな気がしている。

並行して走るドンコイは雑貨店や土産物店が並ぶ"お楽しみ"通りで、そこからハイバーチュンへ抜けるあみだくじの横棒みたいなマクティブォイ通りは、繁華街の喧騒がちょっと薄れながら、しかし土産物選びに顔を上気させた旅行者がまだなんとなくパラパラ入ってくる、街路樹の木陰が心地良い裏通り的な雰囲気の通りだ。(98年~02年頃の話。今はかなり変わっていると思う)

ルナの扉を押すと、テーブル席の向こうに7、8人がかけられるカウンターがある。中には西欧人の血が入ったイケメンバーテンダーのトニーと、店の仕切り役できっぷのいい姐御肌のバンさんがいる。(僕がこのバンさんにめっちゃ惚れていたのは秘密だ)

常連の皆さんはそこに座り、店の奥、カウンターの端っこにオーナーマスターのシュウが立って、常連客の相手をしながら店全体に鋭い視線を走らせている。

カウンターの空いている席に座ると、シュウが話しかけてくる。

「今日は何してた?」

はいきましたよ。僕が汚名を返上するときが。

僕は自分が買ったジッポーライターと、説明用にわざわざ買い求めてきた贋物とをカウンターに置き、解説し始める。

聞いているのは、シュウが『学生』とだけ紹介してくれた留学生君。短髪で表情豊かでなかなか騒々しいお兄ちゃん。隣に『山師』と紹介された20代後半ぐらいの齢ごろの男性。なんとなく儲かりそうなことをいろいろと手広くやってそうな感じ。スキニーな躰にワイシャツ、ゆったり目の地味目なズボンをはいたNくんは、ベトナム人にしか見えない。ちなみにベトナム語も声調までほぼ完璧で、ベトナム人もベトナム人だと思うらしい。

それともうひとり、この3人に比べ、ひときわ地味なおっちゃん。まったく身構えるようなところがない、鷹揚でオープンマインドな雰囲気をそこはかとなく発散しながら、眠たげな目にいつも微笑みをたたえているような、いかにも温厚そうでどこにでもいそうな中年のおじさん。

しかしこのおっちゃん――X氏と呼んでおこう――この人こそ、この中でいちばん危なくてスゴイ人なのである。

もともとは日本の某新聞社の記者で、中国、ベトナム、ラオス、ビルマあたりをまたにかけて戦い続けている山岳少数民族ゲリラに従軍取材するうち、本来の使命をなげうってゲリラと行動を共にするようになったという壮絶な過去を持っている。

この従軍記やサイゴン陥落後の南ベトナム人たちの運命を追った迫真のノンフィクション、御巣鷹山に落ちた日航機事故を取材した本なども出している。

と、こういう常連さんたちに僕は自分の掴んだ本物の証拠を、実物を見せながら詳細にわたって説明したのである。

みんな反論できずに黙りこくる。フッフッフ。そりゃそうだ。どう見たっていま僕が挙げた証拠に照らしてみれば、僕が買ったジッポーは本物であると認めざるを得ないのだから。

みんなつまらなそうな顔だ。バカでアマちゃんな旅行者が騙されるのを見るのは、現地在留邦人からすればちょっとした痛快事だ。それをひっくり返されたら面白くないのもムリない。

と、それまでカウンターの隅で黙っていたXさんがーーどれ、見せてくださいーーそう言ってライターを手に取った。

Xさんならわかってくれる――僕はそう思っていた。いくらベトナムが贋物大国だとしても、それでもどこを見渡しても本物がひとつもないなどということもまた考えられないわけで、大人のXさんなら予断を排し、良識をもって正しい見解を言ってくれるだろうと僕は思っていた。元ジャーナリストだし。

しばらくそれを手の中で転がしていたXさんであったが、ついに一言、こう言った。

これが本物ですって? いやあ、初めて見たなあ、本物なんて

途端に起こる爆笑。シュウがそれをきっかけに追い討ちをかけてくる。

「だいたいさ、ベトナム戦争なんてもう27年(※)も前に終わってるんだぜ。なんで当時のものが今も出回ってるわけ?」

な……、そ、そう来たかーー!

「そうですねえ。それは是非知りたいですね」

とX氏。

ということで僕は、今度は戦後27年経った今も、戦争当時の品が出回っていう理由を調べてこなくてはならなくなったのである。

【ベトナムジッポー15】に続く

(※)これは02年のお話です。


スカイスキャナー


文/写真    太田耕輔(ライター・文筆家)
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