なにしろこの男はデリカシーに欠けているのだが、まあそれについての具体的なエピソードはおいおいねちねち書いていこうと思う。
僕が自慢げに見せたジッポーをシュウは鼻で嗤い、そればかりか店のカウンターに集まっていた常連たちに「どう思う?」と訊いた。全員がスジガネ入りのサイゴン在留邦人である。すると彼らもまた口々に――、
「本物なんてまだ、あるんですかねえ?」
「あるわけないって」
「いくら本物に見えたって、ベトナム人のニセモノ作りの技術をナメちゃいけないよ」
「そうですよねえ」
なんておっしゃる。

(絶対贋物と丸わかりのシャツ)
はいはいわかりますよ。ええ。
僕だってパラオ共和国という、日本の常識では計り知れない国で暮らしてましたから。
「おれのニワトリがジャングルに逃げたから今日は仕事に行けない」
朝のくっそ忙しいさなかにそんな電話をしてくるような連中と6年も一緒に仕事してきましたから。
その国に住み、その国の体臭にまみれながらその国の連中に足を踏んづけられたり冷や水を浴びせられたり車のバッテリーを投げつけられたりしながら生活している人間が、その国のことを一番よく知っているということだって、わかってます。
いまネットではパラオという国について、親日国だとか、国旗も日本のものに似せてデザインしたんだとか、そういう前向き熱烈歓迎みたいなムードの声で満ち満ちてますけども。
でもね、僕は実際、着任3日目で殺してやると言われましたし。憎いから火をつけたとか、おれの爺ちゃんは日本軍にこきつかわれたんだと恨みがましい目で言われることとか、全然ありますからね。
車をぶつけられて口論になるでしょ。こう言われますよ。
「そんなに言うなら裁判するか? 外国人のおまえが勝てると思うなら訴えてみな!」
向こうから勝手にぶつけてきてこの言いぐさですよ。
泥棒に入られて警察呼ぶでしょ。それを仲間のパラオ人に話す。するとこう言われるんだな。
「警察は犯人の見当はついてるよ。だが捕まえない。だって必ず誰かとつながってるからな。友達の息子とか、甥っ子とか、その友達とか。その点おまえは外国人だから、おまえが損したって誰もかまいやしないんだ」
僕の最初の休暇。帰国のコンチネンタル航空の飛行機は、パラオ人に殺された日本の若者の遺体と一緒でした。ホントです。自分の国ってのは本当に有り難いってことが、外国暮らしをするとよくわかるんだが、ともあれ――。
そうやって外国人として危険な目にも遭いながら、孤立無援な生活で磨いてきた僕なりの皮膚感覚が僕にはあるわけで。
8ヵ国の人間と一緒に6年間仕事をしたパラオ生活で培われた洞察力と勘。その後の東南アジア放浪で鍛えられた動物並みの危機察知能力と方向感覚。それにモノの値段と本当の価値とを秤にかけて見極める力――。
僕は何よりもそれを信じてきたし、少なくとも旅においては『地球の歩き方』より僕の勘と方向感覚の方がずっと優れていた。
D21 地球の歩き方 ベトナム 2015~2016
それを侮られたとあっては黙ってはいられないのである。
自分の選んだモノ。そうして自分が愛したモノを贋物呼ばわりされることは、プライドの崩壊なのである。侍の血が流れている日本男児にはこの上もなく許せないことなのである。
ということで僕は、サイゴン在住邦人たちの前で、僕のホンモノを見抜く目、もしくは勘というものが間違っていなかったということを証明しなければならなくなったのである。
僕のそれまでの人生の名誉と埃じゃねえや誇りを賭けて。
【ベトナムジッポー 5】につづく。
スカイスキャナー

文/写真 太田耕輔(ライター・文筆家)
パラオの某ダイブショップにマネージャーとして勤務していたが6年目にして発作的に退職、日本に帰らずそのままインドシナ半島放浪の旅へ。フラフラになったところをベトナムにとどめをさされ帰国。
1年半引きこもってパラオでの体験を書き、半年かけて出版社に売り込んで回ったら本当に出してもらえるという奇跡が起きた。それがダイバーはパラオの海をめざす
以降ライター・文筆家として活動。エッセイ、取材記事、ガイドブックやパンフレット、マニュアル、宣伝用の文章からメルマガまで文章ならなんでも書く。
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